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中国語学習・中訳:村上春樹「物語」で歴史の歪曲に対抗

日本著名作家村上春近日表示,忘或者改史的行都是的,作一名小家,他希望用“故事”的方式行抗。

村上春樹:「物語」で歴史の歪曲に対抗

日本の著名な作家村上春樹は近日、歴史を忘れたり、修正しようとする行為は誤りであり、一人の作家として、「物語る」ことで対抗して行きたいと述べた。

今年2月24日,村上春隔七年售新作《死士》,部篇小中提到日本侵争和?国并奥地利等史事件,因“承南京大屠”而在互网上遭到日本右翼和端网民的攻。

今年2月24日、村上春樹は7年ぶりに『騎士団長殺し』出版し、この長編小説の中で、日本の侵略戦争とドイツのオーストリア併合などの歴史的事件について触れ、「南京大虐殺を容認した」ことによりネット上で右翼や極端なネットユーザー達の包囲攻撃を受けた。

此前村上春一直未回此事。日前,他就此事接受了《朝日新》《新》《日新》等多家日本主流媒体的采。

村上春在采中:“史于国家来是集体性,将其去的西忘,或者改,都是的,必与之抗。然小家能做的有限,但可以用‘故事’一形式来抗。我相信故事的力量。”

村上春樹はこのことに直接答えなかったが、先日、彼はこの事について朝日新聞、読売新聞、毎日新聞などの日本の主なメディアの取材を受けた。

村上春樹は取材の中で述べた。「歴史は国家から見れば集団的記憶であり、その過去のことを忘れようとしたり、あるいは、修正しようと考えるのは誤りであるから、これに対抗しなければならない。小説家の力は限界があるが、ただ、『物語』という形式によって対抗できる。私は物語の力を信じている。

《死士》的名源于莫扎特的歌《唐》中的一幕情。述主人公“我”偶然了楼藏画《死士》。在探画中藏真相的同,“我”,画作者及其弟弟在20世30年代分了?国并奥地利和日本侵争,后者被迫参与了南京大屠,并在国后割腕自。而作者制《死士》,是悼念弟弟和因参与暗?国法西斯高官而被死的恋人。

騎士団長殺し」の書名はモーツアルトの歌劇『ドン・ジョヴァンニ』の一場面から名付けたものである。本書では次のように書かれている。主人公の「私」は偶然に屋根裏にあった『騎士団長殺し』の絵を発見する。画中に隠された真相を探し求めるのと同時に、「私」は次のことを発見する。この絵の作者及び彼の弟は、20世紀1930年代に起こったドイツのオーストリア併合と日本の中国侵略戦争をそれぞれ経験し、後者は南京大虐殺への参与を強いられ、帰国後腕を切って自殺するのである。そして作者が『騎士団長殺し』を制作したのは、弟及び、ドイツのファシスト高官暗殺に参与したことで死刑に処せられた恋人を追悼するためだった。

小中,村上春借主人公居之口道,1938年前后生了几件日本而言是“‘致命’的,致崩的、无法回的事”,并些事也底改了画家兄弟的人生。外,村上春通人物之的交表明,南京大屠中,除了争致的亡,日大量屠了平民。

小説の中で、村上春樹は主人公の隣人の口を借りて述べている。1938年前後に発生したいくつかの事件は、日本にとっては「致命的」であり、崩壊を招き、悔い改めることはできないものである。更にこれらの事件は画家兄弟の人生を徹底的に変えてしまったとしている。更に、村上春樹は人物間に交わされる会話を通じて次のように表明している。南京大虐殺で、戦争が引き起こした死傷者以外に、日本軍は多数の一般民衆を虐殺した。

村上春此前曾在多个合表侵略争和日本道歉的点。在2015年日本首相安倍晋三表“后70周年”之前,村上曾在接受《京新》采表示,“我史是非常重要的,真道歉非常重要。道歉并不是一件羞耻的事”。

村上春樹はこの間、多くの場所で、侵略戦争や日本が謝罪すべき事について言明したことがあった。2015年に安倍首相が発表した「戦後70周年談話」以前に、村上は東京新聞の取材を受けた時、「私は歴史問題が非常に重要な問題であると思っており、真摯な謝罪は非常に大切だ。謝罪は決して恥ずかしい事ではない」と述べた。

《死士》并不是村上春第一次在作品中露侵日的暴行。在他1994年出版的《奇行状》中,他也曾借中人物之口,描述了日在侵争中的暴行。

騎士団長殺し』は村上春樹が作品の中で中国侵略をした日本軍の暴力をあばきだした初めての作品ではない。1994年出版の『ねじまき鳥クロニクル』の中で、彼は作品中の人物に、日本軍の中国侵略戦争における様々な暴力を描写して語らせている。

(2017年04月03日:人民网より)

《感想》本書を未読なので、私の感想は推測の域を出ない。日本のネトウヨ村上春樹をどの程度読んでいるのか疑問だが、「南京大虐殺」の言葉には敏感に反応するようだ。村上にとって、物語の一部だけを取り上げて批判されるのははなはだ迷惑なことだろう。『騎士団長殺し』は歴史論文ではないのだから。

率直に言えば、村上が南京大虐殺のようなリアルな「国家暴力」を、作品全体の中でどのような位置づけているのか、期待と不安は持っている。なぜなら彼は「ねじまき鳥クロニクル」や「アンダーグラウンド」で「現実へのコミットメント」を志向していると思い期待したのだが、「海辺のカフカ」でそれは中途半端なものに終わってしまったからである。「1Q84」でその失望は更に大きくなった。

中国では村上春樹は日本における人気を上回るほどで、「村上春樹熱」と呼ばれる社会現象となっている。1989年に「ノルウェイの森」が翻訳されて以来、村上春樹の新作は日本の出版とほぼ同時に翻訳され出版されている。 村上春樹の影響を受けた若い作家は数え切れない程出現している。また村上作品の影響を受けた映画も作られている。

中国人が村上作品のどこに魅力を感じているのか、ここでは述べることはできないが、中国側は村上春樹の発言を、この記事のように日本歴史修正主義批判の材料として取り上げる。文学論、芸術論ではなく政治的に扱われてしまうのは、村上にとってこれまた迷惑な話である。なぜならば、村上が作品で扱う国家暴力は、旧日本軍だけでなく、中国共産党支配下の中国社会にも向けられている暴力だからである。我々の社会に潜む「薄気味悪い暴力」を暴き出すことが、彼の狙いであると理解しているからである。