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口丹&北摂ぐるっと §10

十兵衛茶屋というバス停を通過。かつての播磨街道と篠山街道の合流点にあたる位置にあった、重兵衛さん営む重兵衛茶屋があった場所である。江戸時代の頃のことで、入母屋造りの建物は、市の文化財に指定されている。

篠山盆地の南側を通る国道とは別れ、篠山市街地へと行く道をとバスは行く。八上小学校前というバス停があるが、沿道にその小学校の建物が望める。セセッションやアールヌーボーを採り入れた意匠で、セメント瓦で杉材下見板貼の木造二階建ての校舎がある。昭和12年建築で、県の景観形成重要建築物に指定されているとのこと。この小学校界隈は、旧八上村の中心的な場所だったそうである。学校の向かい側には糯ヶ坪稲荷神社がある。明治20年に神社境内に、糯ヶ坪(もちがつぼ)簡易小学校の仮校舎が設けられた。明治24年に八上尋常小学校となり、その日を持って八上小学校の創立記念日としている。翌年に現在の地に移転している。

稲荷を過ぎて少し行くと、糯ヶ坪交差点がある。廃線となった篠山線は、この交差点を高架で交わっていた。斜めに交わる道路があるが、これが廃線跡かも知れない。糯ヶ坪の地名の由来だが、この辺りで糯米が良く採れたからだという説もある。

暫く進み篠山営業所のバス停に到着。バスの車庫も有する、神姫グリーンバスの篠山営業所の敷地にある停留所である。ここで僅かながら乗車していた高校生数人が降りた。簡易な待合室のあるバスブースがあり、どこ行きに乗るのやら、数人が待っていた。高校生もその中に加わった。営業所は昭和的な雰囲気で、ローカルバス路線を実感する。かつてこの付近に篠山ヘルスセンターがあったとのこと。昭和37年にオープンし、約13,000坪あったそうで、42,900平米となる。各種温泉や演芸場・食堂、動物園まであったようだ。賑わっていたらしいが、経営者が公金流用事件を起こしたのが要因で、一年八ヶ月で閉鎖されてしまったとさ。

篠山営業所を出ると、篠山川に架かる京口橋を渡る。京街道にあるから京口とは分かりやすい。橋の正面には小高い丘陵地が望める。王地山と言い、国民宿舎も設置されていて、冬季には名物ぼたん鍋も賞味できる。名前の由来は、平安京になる前の土地選択の中に、この山も候補にはいっていたから。故に王の文字を使用している。大抵の車は橋を渡り終えるとT字型に分かれて行くが、真っ直ぐ行くと河原町地区になる。古い商家等々が立ち並び、多分保存地区だったような気がする。

篠山川の幅は広くは無く、鉄道ならば橋脚一本建てるか、トラス橋ならば無径間でいけるだろう、そんな川を篠山線は渡れなかったのか、詳しい経緯は知らないが、路線は川の南側に敷かれている。京口橋の下流側に橋一つ行った、更に南の方に篠山駅が設けられていた。篠山の町の中心地は、川から更に北側に数百メートル離れている。鉄道が不振だったのは当然の結果だった。同じ町から外れるならば、北側を通していれば多少はマシだったのかも知れない。だが園部まで全通させても、人口希薄地域ばかりだから、早い時期に廃止となっていた確率は高い。

バスは本篠山に到着した。道路沿いに屋根付きバス用のホームが一本設置されている。お世辞にも利用者が多い訳では無いのに、何故このような立派な施設が設置されているのか。この辺りのバス事情の歴史を知っていれば分かることなのだが、2002年までは、ここにジェイアールバスの篠山営業所(後年は支所)があった場所なのである。現在は更地になっているバス停南側の奥に、その施設が設けられていた。私はまだ現役の頃を知っているので、現状を見るにつけ、哀しくなってしまう。篠山口駅と本篠山間にはジェイアールバス(国鉄バス)と神姫バスの二社の路線があるのだが、周遊券では神姫バスには乗れなかった。この地方としては規模の大きな市街地を持つ篠山の町だが、市街地の外縁部に辺り、界隈も閑静な場所だから、土地も売れにくいのだろうか。

ここからは篠山の中心部にと入って行く。だがビルが林立するような都会みたいな光景とは無縁だ。歴史的な城下町であり、市街地に商業ビルやマンション等の高さのある物件は皆無である。多分条例等で町並みの風景を守っているのだろう。古い町並み好きなら必ず嵌まるだろう街路をバスは行く。城北口からは篠山の目抜通りと言っても過言ではない道を走る。バスがスレ違うには余裕に乏しい道幅の両側には、土産物や各種産物や飲食店等、観光客向けの店舗が結構ある。トップシーズンの秋の週末ともなれば、大勢の人々がそぞろ歩きし、バスの進行も困難になるほど賑わうこととなる。

春日神社前から二階町にかけての界隈が、篠山の中心部的な地区である。市役所や篠山城跡への最寄りであるし、銀行支店や郵便局の本局もある。篠山という名だが、かつて黒岡村にあった小山を聖なる山とし、後に佐佐山とか笹山と呼んだ。史料上では1430年に初めてその名が記載されたようだ。1609年に家康が篠山城を築いて以降城下町となった。

市街地内で小規模な乗降も見受けられたが、車内の総数的には十人以内を上下している感じであった。

古い町並みを抜けると、田園地帯を開発したノビノビとした道となる。市街地中心部を避けた、バイパス的な道路があって、それが合流したりするから交通量は増え、ロードサイドショップも多くみられる沿道となる。味間(あじま)地区がある。大昔はこの辺りは沼地だった。そこには沢山の葦(あし)が生えていた。葦の間=葦間→あしま→あじま→味間となったという説がある。

宇土観音というバス停がある。山寄りにある少し古びた集落にある。1360年前からある、当初は極楽寺だった寺院があった。背後にある山には千軒坊と呼ばれるほどの、多数の堂宇が建ち並んでいた。しかし1184年に兵火により全山焼失してしまった。本尊の観世音菩薩は無事だったので、1473年に清滝山弘誓寺に改名して祀った。それが現在に至っている。篠山市のスポットのひとつである。またこの地区には、山の芋センターという、篠山らしい名称のJAの施設もある。

次の停留所が四季の森会館前だ。道路沿いにバザールタウンという、大型商業施設がある。ここで一人が降りた。バザールタウンとは、京都府福知山市に本社がある、創業百年を越えるさとうグループが展開している商業施設である。地盤は北近畿と呼ばれる一帯である。

バス停名となっている会館は、2003年竣工した四季の森生涯学習センターの中にある施設であり、五百余名収容出来る多目的ホールだ。建物内には他に市役所丹南支所や会議室、展示ホール等もある。

舞鶴若狭自動車道の高架をくぐり、丹南篠山口インターの出入口前を通る。丹南とは、平成の合併にて篠山市となるまでソンザイシテいた自治体で、丹南町のことである。現在は行政の住居表示名として、丹南の名称はもう存在しない。またインターが出来た当時にはまだ丹南町域だったので、篠山とは名乗れず篠山口としたのだろう。現在では長ったらしい名称だから、旧丹南町民が許すなら、篠山インターにした方が綺麗なのかなとは思う。

JR福知山線を立体交差で乗り越えて、国道176号線に入る。この国道は大阪市福知山市を結ぶ主要国道である。交通量は多く、新名神建設の橋桁落下事故で全国的に名が知れた。その現場自体は遥か南の方だが。

少し南へと走って、終点篠山口駅西口に到着した。かつてのバスの発着は、全て駅の東側だった。道路事情が悪いのもあったし、駅の橋上化と東西自由通路の完成にて、土地に余裕があり国道にも至近だった西側に駅前広場を新設して全面移設したのだった。降りたのは八人ほど。全員が駅の改札に向かったようだ。福住から700円だった。

かつて駅弁のデカンショ弁当や猪肉入りのぼたんめし、駅そばを販売していた東口にあった浪花食堂はもう駅前には無い。食堂ではおでんや豚汁を食べたことがあるが、美味しかった記憶が残る。

月日は百代の過客にして、諸行無常の響きあり・・・である。