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スプートニクの恋人

実家の庭には、この時期になるとすみれがたくさん咲きます。

西洋すみれじゃなくて、ほっそりと小さな「なにやらゆかし」の日本すみれです。

いただきものを一株地植えしたら、年ごとにどんどん増えて、庭中に咲くようになったのだそうで、可憐な風貌と裏腹になかなかしたたかな生命力を持ち合わせているらしい。

今年もそろそろ咲きそろっているはずで、これが実家に帰る楽しみの一つ。

4月の1冊は、村上春樹さんの『スプートニクの恋人』。

ねじまき鳥クロニクル』という不穏で重厚な長編小説と、第2次春樹ブームのきっかけを作った感のある長編『海辺のカフカ』の間に書かれた、中編恋愛小説です。

村上作品評というのをそれほど熱心にチェックしているわけではないけれど、『スプートニクの恋人』は、特に評価の高い作品ではないように思う。

でも、私は、春樹さんの小説の中でもベスト5に入ると思うくらい、この作品が好きです。

主人公の僕は、大学時代からの友だちであるすみれに恋をしています。

すみれは、小説家を志すちょっと変わり者の女の子。すみれにとって、僕は良き理解者ではあるけれど、恋人という存在ではない。

おまけにすみれは、ミュウという年上の女性と恋におちます。

そのミュウは既婚女性で、つまり、この小説は、僕→すみれ→ミュウという、二つの片思いの物語なのです。

この小説の中でもっとも印象深いのが、ミュウの経験した不思議な出来事です。

ミュウは過去に、遊園地の観覧車の中から、自分の住んでいるアパートを双眼鏡でのぞき、そこに自分がいるのを見てしまうという経験をしました。

もう一人の自分とその行為を見たショックで、25歳だったミュウの髪は、1本残らず真っ白になり、その後、何かを心から愛することも、自分を惜しみなく誰かに与えることもできなくなってしまった。

このくだりを読んでからというもの、私は、電車から見える自分の部屋を見るのが恐ろしくなってしまいました。

もしそこに、もう一人の私がいたらどうしよう?

ミュウの身の上に起きた不思議な出来事は、頭に雷が落ちるような不幸な偶然による事故ではなく、彼女自身が惹起した必然の出来事だったと思うのです。

若く野心に燃えていた彼女は、知らず知らずのうちに、自分の中にあった大切なものを見過ごし、疎かにし、錆びつかせ、腐らせ、ついに失った。

観覧車からミュウが見たものは、おそらくその過程を凝縮したものです。

そういうことが私にも起こるかもしれない、いや、すでに起こったのかもしれない。

私はそれに気づきもしていないだけなのかも?

村上春樹という人の小説は、読む者をして、自分にも見えない自分の中を手探りして確かめさせずにはおかない。

春樹作品を読むということは、いつでもとても個人的でスリリングな行為です。

この(比較的)小さな作品では、春樹さんらしい文体を存分に楽しめるということも大きな魅力です。

伝家の宝刀である独創的な比喩表現が随所に用いられ、僕とすみれの会話はユーモアにあふれています。

『クロニクル』のようなテーマも分量も重々しい作品では抑制されていた文章の遊び心のようなものが、この作品では明るく解放され、いきいきと躍動している。

冒頭の1ページは、すみれの恋がいかに圧倒的なものだったかを表現する比喩で埋められています。

私もこの最初の1ページで、この作品と「広大な平原をまっすぐ突き進む竜巻のような激しい恋」に落ちました。

そんな1冊。